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ドンを撃った男「鳴海清」の壮絶な人生。ベラミ事件や殺され方の真相を紹介!

こんにちは、トドちゃんです!

鳴海清といえば、三代目山口組組長・田岡一雄を襲撃して命を狙った「ベラミ事件」で有名ですが、その後、何者かに殺害され、腐乱死体で発見されました。

この記事では、そんな鳴海清のプロフィールや生い立ち、背中の天女の刺青、殺され方の真相、映画化情報まで詳しくまとめています!

鳴海清のプロフィールと生い立ち

鳴海清は、1952年に大阪府大阪市西成区で八百屋を営む両親の元に生まれました。

少年時代の鳴海清に関しては、特に素行が悪かったなどのエピソードは無く、中学を卒業後は東大阪市にある印刷工場に就職しています。

2年ほどで印刷工場を退職して実家のある西成区に戻った鳴海清ですが、たまたま立ち寄った喫茶店で口論となった末に相手を殴り殺してしまい、致死傷害罪で逮捕、浪速中等少年院に送致されてしまいます。

鳴海清が起こしたベラミ事件とは?

山口組三代目組長・田岡一雄暗殺未遂事件は、京都・三条大橋のナイトクラブ「ベラミ」が事件現場となったことから「ベラミ事件」と呼ばれています。

ベラミ事件までの経緯①「ジュテーム事件」

1978年7月の山口組三代目組長・田岡一雄暗殺未遂事件となる「ベラミ事件」ですが、事件のきっかけは1975年7月の「ジュテーム事件」までさかのぼります。

「ジュテーム事件」は、山口組系佐々木組の組員が、松田組系溝口組の賭場でトラブルを起こしたのがキッカケです。

1975年7月になると、トラブルの報復に溝口組が動き、大阪府豊中市の喫茶店「ジュテーム」にて、佐々木組組員が銃撃され、3人の死者と1人の重症者が出ました。

「ジュテーム事件」当初、山口組としては、松田組との全面戦争を回避する意向だったらしく、「すべては末端の組員同士のいざこざ」として和解に向けて動いていたと言われています。

しかし、そんな山口組の意向を察知していなかった松田組は、山口組本部にまで銃撃を仕掛けてしまい、和解のチャンスを失ってしまうことになりました。

こうして「ジュテーム事件」より始まった、松田組山口組の抗争は、「大阪戦争」と呼ばれる大抗争に発展してしまいます。

ベラミ事件までの経緯②「日本橋事件」

「ジュテーム事件」を機に本格化した「大阪戦争」ですが、1975年9月になると、本部襲撃のお礼参りに山口組系中西組の関係者が松田組組長の邸宅を銃撃する事件が起こります。

その後、落とし前をつけに中西組襲撃の実働部隊となったのが松田組系大日本正義団だったと言われています。

鳴海清の死の真相

腐乱死体の特定は「天女の刺青」

松田組系忠成会にかくまれていたはずの鳴海清ですが、1978年9月17日に、六甲山・瑞宝寺谷でガムテープでぐるぐる巻きにされた腐乱死体で発見されました。

死後1ヶ月ほど経過していると推定され、夏場に山中に放置されていたことでウジ虫がわくほど腐乱しており、指紋が採取できないほど体が崩れていたようです。

そのため、背中に彫られた「天女の刺青」「お守り袋に入っていた子供たちの写真」が本人確認の決めてとなったそうです。

  • 大阪・西成区の彫り師が腐乱死体の写真を見て、1972年に1年がかり彫った、鳴海清の刺青で間違いない、と証言
  • 鳴海清の内妻が、お守り袋の写真を、彼との間に生まれた長男・長女のスナップ写真だと証言

鳴海清の殺され方

このように変わり果てた姿で発見された鳴海清ですが、具体的には、前歯は折られ、脇腹などに複数の刺し傷があった他、爪や性器が切り取られているなど、壮絶なリンチを受けた形跡がありました。

英雄気取りで暴走した鳴海清が、松田組内で厄介者扱いされた末に殺されたと考える人が多いようです。

実際、「日本橋事件」後の松田組としては、山口組との和解の道を探っていたらしく、傘下の組員たちには報復行為を自重するようにとの指令が下っていたと言われています。

鳴海清殺害犯5人が逮捕される

「鳴海清殺害事件」では、実行犯として、鳴海清を匿っていたはずの松田組系忠成会の組員5人が逮捕されました。

とはいえ、忠成会組員らの供述は、実際の証拠と矛盾する内容があったり、供述そのものが変わったりと疑問の残る部分が多かったそうです。

そのため、1990年1月に最高裁で下った判決では、組員らは逮捕監禁や、同幇助罪では有罪判決を受けたものの、殺人罪では無罪となりました。

以上のような複雑な経緯をたどったことにより「実行犯は山口組で、忠成会の5人は替え玉なのではないか」という噂も存在しています。

しかし、鳴海清の身柄を確保して殺害したとなれば、出世間違いなしの大手柄となるにもかかわらず、自首をした山口組組員がいないことから考えると、山口組が関与している可能性は低いと考えられます。

鳴海清を題材とした映画

鳴海清は、話題性のある事件の当事者ということで、定期的に映画の題材となっています。

  • 総長の首(1979年)
  • 獅子王たちの夏(1991年)
  • 獅子王たちの最后(1993年)
  • ドンを撃った男(1999年)

このように、事件から40年以上が経った現在でも「ベラミ事件」の知名度は高く、鳴海清は伝説のヒットマンとして語り継がれています。