代紋

来歴【俠道会】
高橋組
- 1945年(昭和20年)10月、高橋徳次郎が、広島県尾道市久保2丁目の新宿の遊廓に新居を建て、博打を始める。
その後、高橋徳次郎は自宅に「高橋興行部」の看板を掲げ、興行の仕事を義父・津川嘉太郎に任せ、自身は賭場の運営に専念。
かつて日立造船で働いていた森田幸吉は、高橋徳次郎から盃をもらい、高橋徳次郎の若衆となった。 - 1951年(昭和26年)4月23日、高橋徳次郎は尾道市市議会議員に立候補し、第3位で当選。その後、高橋徳次郎はヤクザから引退、賭場を森田幸吉に任せる。
- 1955年(昭和30年)12月、高橋徳次郎は、広島県県議会議員に当選。
- 1967年(昭和42年)12月、広島県警尾道警察署は、野球賭博容疑で、高橋徳次郎や高橋組主要幹部を逮捕。
俠道会
- 1969年(昭和44年)1月、森田幸吉が、元高橋組組員を中心に尾道市周辺の暴力団組員を糾合して「俠道会」を結成。
- 1969年(昭和44年)11月、共政会・十一会(会長は竹野博士)組員と共政会・村上組(組長は村上正明)組員が喧嘩をし、これをきっかけに第三次広島抗争が勃発。
- 1970年(昭和45年)、下関市の合田一家・合田幸一総長の提唱により反山口組同盟「関東二十日会」を結成。
加盟組織は、合田一家・大阪市の松田組・神戸市の忠成会・姫路市の木下会・岡山市の浅野組・広島市の共政会・北九州市の工藤會など。 - 1970年(昭和45年)4月、高知県高知市に「俠道会高知支部」を設立。
- 1970年(昭和45年)5月、愛媛県今治市に「俠道会今治支部」を設立。
- 1972年(昭和47年)1月、俠道会高知支部と山口組・豪友会の間で、覚醒剤密売利権のトラブルをきっかけに抗争が勃発。
- 1972年(昭和47年)5月、兵庫県有馬温泉で、山田久と森田幸吉の手打ちが行われた。
- 1979年(昭和54年)4月16日、三代目山口組・田岡一雄組長は、田岡一雄の自宅で、山田久、森田幸吉・浅野組・浅野眞一組長、共政会・門広相談役と会った。この席で、山口組とそれぞれ関西二十日会に所属していた共政会、俠道会、浅野組との共存共栄路線が確認された。
- 1981年(昭和56年)9月、森田幸吉は、香川県高松市で「新侠会」を結成。
- 1987年(昭和62年)、森田幸吉は、熊本県熊本市の「熊本同志会」を傘下に収めた。
- 1988年(昭和63年)、「西日本二十日会」が結成。関西二十日会とは違い、山口組を仮想敵とするものではなかった。
- 1989年(平成1年)7月、森田幸吉は、自身の提案であった「西日本二十日会」を結成。

【七代目合田一家】来歴・系譜・施設・組織図まとめ/日本ヤクザ・暴力団(2023年2月更新)
概要【七代目合田一家】
七代目合田一家(ごうだいっか)は山口県下関市竹崎町3-13-6に本部を置き、山口県下関市長府南之町5-...
系譜【俠道会】
高橋組
- 高橋徳次郎
俠道会
- 初代:森田幸吉
- 二代目:森田和雄(新俠会会長)
- 三代目:池澤望(池澤組初代組長)
組織図【三代目俠道会】
総裁
- 総裁:池澤望
会長
- 会長:佐藤光司
執行部
- 会長代行:田中英哲
- 理事長:住田浩司(三代目長江組組長)
- 本部長:天嵜幸一(二代目弘田組組長)
- 幹事長:森田正一(幸信同志組組長)
副会長
- 松崎高義
- 平信義(平組組長)
理事長補佐
- 村上純次(二代目井出組組長)
- 森本憲一(二代目森本興業組長)
- 平田昌史(三代目森田組組長)
- 箱崎誠(三代目池内組組長)
- 山内啓由(山内組組長)
幹部
- 松崎史裕(二代目松崎会会長)
- 久保稔(二代目佐藤組組長)
- 二五展彰(二代目宮永組組長)
- 豊田英一(豊田組組長)
- 三塩正(二代目弘田組若頭)
直参
- 水上龍起
- 湯浅箸彦
- 市山健(市山組組長)
- 岡田尊裕(三代目曽根組組長)
- 清水孝治(三代目天山会会長)
- 藤原圭介(二代目因島幸和会会長)
- 岡崎宣卓(幸信同志組若頭)
- 山本巧(三代目森田組組長)
参与
- 湟橋弘磨(湟橋組組長)
- 樋口薫(樋口組組長)
- 篠原宏(極友会会長)
相談役
- 弘田時秀

【六代目共政会】来歴・系譜・施設・組織図まとめ/日本ヤクザ・暴力団(2023年2月更新)
概要【共政会】
六代目共政会(きょうせいかい)は広島県広島市南区南大河町18-10に本部を置く、的屋系の指定暴力団。
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