ヤクザ

【仁義の墓場】石川力夫のやりっぱなし人生を紹介!(伝説エピソードあり)

こんにちは、トドちゃんです!

極道史に伝説を残した者は数多くいますが、ケタ違いな『仁義外れ』をしたとして、不名誉な伝説になっているヤクザもいます。

アウトロー達の社会にも掟がありますが、その掟にも従えない、無法者社会の中の無法者というわけです。

この記事では、飼い主にも平気で噛み付き、無法者社会を敵に回した狂犬ヤクザ、石川力夫のやりっぱなし人生を、エピソードを交えて紹介していきます!

石川力夫ってどんな人?

みなさん、『仁義の墓場』という映画をご存知ですか?

『仁義の墓場』は、『仁義なき戦いシリーズ』で実録ヤクザ映画を作り上げた深作欣二監督の作品で、主演は渡哲也です。

仁義、組織、盃、掟に牙をむき、戦後ヤクザの語り草ともなった実在のヤクザの半生を描いた作品です。

そしてこの映画のモデルとなったのが、この記事で紹介していく石川力夫という男なのです。

石川力夫のリアルな人生

では、映画のモデルになるほどの男、石川力夫は一体どんな生涯をおくったのでしょうか?

ここからは、石川力夫の誕生から、その生涯を終えるまでの伝説的な人生を、順を追って大まかに紹介していきます!

誕生〜ヤクザの道へ

石川力夫は1926年、茨城県水戸市で生まれ、父とその再婚相手である、血のつながらない母と3人で暮らしていましたが、幼少期から愛情を受けることなく育ちました。

十代後半からは東京に流れ、新宿界隈でケンカに明け暮れる日々を過ごしていたそうです。

当時、新宿駅東口に一大勢力を築いていた【和田組】の和田薫組長の盃をもらい、ヤクザの世界に足を踏み入れることになります。

ヤクザ生活

ヤクザ入りしてしばらくは、他団体との抗争時に一家のために体を賭けるなどの忠誠心を見せ、ヤクザとしての頭角を現していきました。

この時期は、極東会の松山眞一や、住吉会の堀政夫などが関東で売り出し中の頃です。

石川力夫も新宿の闇市を仕切るまでになっており、徐々に名前が売れていきましたが、可愛がってくれていた親分・和田薫の家に殴り込み、日本刀で斬りつけるという反逆を起こします。

初めての服役〜出所後、関西へ

親分を襲撃した事件で、石川は傷害罪で1年6ヶ月の実刑判決を受け、府中刑務所に服役します。

また、もちろんヤクザ社会からも制裁があり、「関東処払い10年」という10年間は関東に足を踏み入れてはいけない、という処分が下されます。

出所後、石川は関西へ流れ、知り合いの店で住み込みで働かせてもらえるようになりましたが、石川にはカタギの仕事は務まらず、この頃に釜ヶ崎の娼婦からヘロインを覚え、薬物に溺れ始めます。

そして、24歳の時に処払いの掟を破って、再び東京へ戻りました。

ヘロイン中毒になり、再び関東へ

東京に戻った石川は、潜伏生活中の食事や金銭的援助をしてくれるなど、助けてもらっていた恩を忘れ、あろうことか、兄弟分の今井を射殺します。

さらに、この時に今井の妻にも瀕死の重傷を負わせました。

親分に逆らい日本刀で大ケガをさせたり、関東処払い10年を破ったり、兄弟分を射殺したり…などの所業は、関東のヤクザ社会全体を敵に回すほどの大罪でした。

前代未聞の反逆行為ですね。

2度目の懲役

殺人と殺人未遂の罪で懲役10年の刑が確定し、再び府中刑務所に服役した石川ですが、この頃はすでに、体はボロボロになっていました。

過度の薬物摂取に加え、胸を侵され、ひどく衰弱した状態だったといいます。

人生の幕引き

『大笑い 三十余年の バカ騒ぎ』という辞世の句を残し、府中刑務所の屋上から飛び降り自殺をし、1956年、30歳で人生の幕を閉じました。

この頃、関東を大親分となっていた和田薫は、石川の死の知らせを聞いて「親不孝な奴だ」とだけ呟いたといいます。
(和田は石川に足を切られ、生涯足が不自由だったそうです)

やりっぱなしエピソード

石川力夫の壮絶な人生を紹介していましたが、その中でも特にすごい「やりっぱなしエピソード」を厳選して紹介します!

①逃走中に出会った女をレイプして、妻にする

三国人を襲撃し、逃走する過程で出会った地恵子という女の家に転がり込み、「何もしない」と繰り返しながらもレイプし、自分の妻にしてしまいます。(クズ)

これを機に、地恵子は石川力夫という名の疫病神に取り憑かれてしまいました。

②親分を切りつけて逮捕

ヤクザの世界で親分子分の関係は「絶対」であり、それをないがしろにするということは許されることではありません。

しかし、狂犬・石川にそんなことはお構いなしに、世話になっていた親分・和田薫を切りつけます。

この時、石川が親分を切りつけた理由は「構ってほしかった」からだと言われています・・・

③ヘロイン中毒となり、破滅の道へ

親分を襲撃した罪で服役後、1年半の刑期を終えたものの関東処払いを受けている石川は、兄弟分・今井の勧めもあり、大阪に生活の拠点をうつします。

この時の逃亡資金は、今井の援助と、妻・地恵子を芸妓屋に売り飛ばしたお金でまかなっていたそうです。(クズ)

逃亡先の大阪で、ヘロインを覚えてしまった石川は、ヘロイン欲しさに暴力団が経営する店を襲撃したりと、これまでも相当でしたが、ここからは、元来のやりっぱなしな性格とヘロインの相乗効果で、破滅への速度は急加速していきます。

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④処払いを破り、兄弟分を殺害

東京に戻った石川は、密かに連絡を取り、食事やお金の工面をしてくれていた兄弟分・今井幸三郎を刀で斬りつけて重傷を負わせます。一時は逃亡を図るも再び今井の前に姿を現し、射殺してしまいます。

さらにはこの時、制止しようとした今井の妻にも大怪我を負わせています。

今井を殺害した理由は、薬物中毒者特有の「勘ぐり」で、今井が自分を売ったと思い込んでいたからだといいます。(今井は終始石川をかばっており、つまりは石川の勘違いだということです。)

⑤警察と銃撃戦の末、逮捕

すっかりとヘロイン常用者に成り果てていた石川は、無差別に発砲を繰り返し、弾が尽きて自暴自棄になり表へ飛び出したところを、取り押さえられ、逮捕されました。

この頃、レイプの末に妻にされ、その後も身を売り献身的に石川を支え続けた地恵子が自ら命を絶っています。

⑥府中刑務所で飛び降り自殺

散々まわりに迷惑をかけ続け、府中刑務所の壁に『大笑い 三十余年の バカ騒ぎ』という辞世の句を書き残し、刑務所の屋上から飛び降りて、アッサリとこの世を去ってしまったのです。

石川力夫の墓

『仁義の墓場』の作中にも、石川力夫が石屋に墓石を彫らせるシーンがありますが、このお墓は、新宿の常円寺というお寺に実在しています。

「仁義」とは最も無縁な男である石川力夫が墓石に選んだのは「仁義」の二文字。

さらに、あろうことか自分自身の手で殺害した兄弟分である今井幸三郎の名前まで墓石に彫るなど、行動と思考が整合していません。

石川の人生は、他者にだけ「仁義」を求め続けた人生でした。

まとめ

いかがでしたか?

大きな子供、最強の自己中、キレたらとことんキレまくりで後がどうなろうとお構いなしで、まさに「やりっぱなし人生」という言葉がピッタリな男、石川力夫を紹介しました!

あまりに無茶苦茶をやり続けて生きていた石川ですが、不思議なことに、常に誰かからの恩情を受けていたようです。

「凶暴」と「無垢」は表裏一体なのでしょうね。

ではまた!