入江禎(いりえただし、1944年12月9日〜)は、独立組織・二代宅見組組長。
入江禎の略歴
山口組時代
- 1964年、渡世入り。
- 1997年、宅見勝の急逝に伴い、宅見組に二代目を継承し、五代目山口組直参に昇格。
- 2005年6月、若頭補佐に就任する。
- 2005年7月、総本部長に就任する。以降の山口組で髙山清司に次ぐ第三の有力者とされた。
- 2010年12月1日、髙山清司の逮捕からわずか2週間後に、中野会若頭を射殺し、殺人罪で服役していた組員の家族に現金を渡したとする「賞揚等禁止命令違反」から、暴力団対策法違反容疑で大阪府警に逮捕された。
- 2010年12月24日、保釈金1,000万円を支払い、保釈。
- 2011年3月10日、有罪が確定。懲役10ヶ月、執行猶予3年の判決を受けた。
- 2013年10月、舎弟頭に就任する。
- 2013年12月19日、米財務省は日本国内外で麻薬の密輸や人身売買などの犯罪行為に関与しているとして、入江禎を金融制裁の対象に指定。
神戸山口組時代
- 2015年8月27日、六代目山口組若頭補佐・四代目山健組組長の井上邦雄と共に山口組を脱退。同日付で山口組から絶縁。
ともに離脱した13団体と井上邦雄を組長とする神戸山口組を結成、副組長に就任。 - 2022年5月8日午前2時45分頃、豊中市緑丘の入江禎宅に、山口組・三代目弘道会・十代目稲葉地一家組員・菅野義秀(元アビス幹部)が車で突入。玄関先の門を壊して逃走。
同日午前5時頃、豊中市内で菅野義秀は逮捕された。 - 2022年9月9日、入江禎と池田組組長・池田孝志の尽力により、池田組と五分の親戚団体となる。
これにより、実質的に池田組と親戚関係にある絆會、神戸山口組の3派連合体が結成された。 - 2022年9月12日、神戸山口組が放ったヒットマン・黒木龍己によって射殺された、織田絆誠のボディガード・楠本勇浩の祥月命日に、神戸山口組と池田組からそれぞれ最高幹部らが現場を訪れ供養を行った。
- 2022年9月20日、命日供養の弔問について報告を受けていない神戸山口組組長・井上邦雄は、「この抗争で(身内であった元・山健組副組長の織田を殺める為)命を懸けた者の気持ちを考えろ」と入江禎に対し激高。
入江禎は呆れてその場を立ち去る。 - 2022年9月21日、3派連合体の最大の功労者であった副組長・入江禎が神戸山口組を脱退。二代目宅見組は独立組織となる。
- 2022年10月5日付で神戸山口組は、入江禎の除籍を通達した。
入江禎の人物概要
- 六代目山口組時代は総本部長や舎弟頭を歴任していた。

【宅見若頭射殺事件】山口組内部抗争/日本ヤクザ・暴力団(2023年2月更新)
概要【宅見若頭射殺事件】
宅見若頭射殺事件(たくみわかがしらしゃさつじけん)は、1997年8月28日に五代目山口組若頭・宅見勝...