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神戸山口組組長【井上邦雄】武勇伝・エピソード・刺青情報まとめ/日本ヤクザ・暴力団(2023年2月更新)

2015年8月に指定暴力団・六代目山口組より離脱し、自身が組長を務める神戸山口組を結成した井上邦雄

この記事では、そんな井上邦雄さんの経歴、性格、晩年の様子などについて詳しく紹介していきます!

井上邦雄のプロフィール

  • 1948年8月22日、大分県日田市にて生まれる。
  • 野球好きの少年だったが、喧嘩沙汰で大分県大分舞鶴高校を中退し、素行の悪さに業を煮やした母親により、山口組山健組傘下の中野会に預けられる。しばらくして、同じ山健組系の健竜会に移った。

健竜会での活動

  • 1975年、健竜会に愛芳会を設立し、健竜会理事長補佐に就任した。
  • 1978年、三代目山口組組長・田岡一雄松田組組員に狙撃されたベラミ事件を受けて、山健組松田組への報復に参戦。
  • 1978年9月2日、和歌山市内の松田組系西口組組長・西口善夫の自宅で、警備中の組員2人が健竜会組員に銃撃される。井上邦雄はこの事件の首謀者として起訴され、懲役17年の判決を受ける。服役中に山健組直参に昇格した。
  • 2000年に出所後、四代目健竜会会長となり、三代目山健組若頭補佐と兼務しながら活動を続けた。

井上邦雄、山健組跡目継承から山口組直参へ

  • 2003年5月、三代目山健組若頭に就任。
  • 2005年8月、四代目山健組組長を継承し、六代目山口組幹部に就任。
  • 2005年12月4日、六代目山口組若頭補佐に就任する。
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山口組離脱・新団体設立へ

  • 2015年8月、二代目宅見組組長・入江禎池田組組長・池田孝志らと共に六代目山口組を離脱する。井上邦雄は、この時離脱した十数名に及ぶ山口組二次団体をまとめて新団体・神戸山口組を結成し、組長に就任した。
    一連の動きに際して、六代目山口組からは即座に絶縁処分を受けた。
  • 2018年5月、山健組の跡目を五代目健竜会会長・中田浩司へ譲った。
    これにより、神戸山口組山健組のトップを兼務していた状態が解消された。

井上邦雄の事件

  • 2022年6月5日午後2時20分頃、井上邦雄の自宅門の付近で複数の弾痕が確認された。
    事件後、六代目山口組・三代目弘道会野内組組員・林雄司が拳銃1丁を所持して神戸北署管内の交番に出頭、銃刀法違反容疑で現行犯逮捕された。

井上邦雄のエピソード

面倒見が良く、人望が厚い

井上邦雄さんの性格がわかるエピソードを紹介します。

舎弟が親分たちの食事が終わるまで外で待っていると、井上邦雄さんの舎弟が出てきて、「オヤジが飯食え言うてます」と伝えにきたそうです。
舎弟は基本的に外で待機のため、ためらっていたそうですが、「お宅の親分さんにも了解もろてます」と井上邦雄さんの舎弟が言うため仕方なく入店したところ、親分同士は別のテーブルについており、舎弟のためにも別のテーブルが用意されていました。

この計らいは井上邦雄さんがしたもので、この時に井上邦雄さんは若い衆にも気遣いができる立派な人だと思ったそうです。

神戸山口組組織図
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