代紋

主な施設【稲葉地一家】
- 本部:愛知県名古屋市中村区大門町4
- 本家:愛知県名古屋市中村区羽衣町39-4
- 九代目本家:愛知県名古屋市中村区道下町4-23
- (株)名稲実業:愛知県名古屋市中村区大門町4
- (株)オフィスヒロミ:愛知県名古屋市中村区大門町4
- (資)丸和興業:愛知県名古屋市中村区大門町4
- (資)朝日商会:愛知県名古屋市中村区大門町4
- (株)名高産業:愛知県名古屋市中村区大門町5
- (資)酒井商會:愛知県名古屋市中村区大門町5
- 池田産業(有):愛知県名古屋市中村区大門町30コーポ102号
来歴【稲葉地一家】
結成唐戦前期
- 尾張国愛知郡岩塚村の博徒・岩塚忠七の子分で、同郡中村大字日比津(現在の名古屋市中村区日比津町周辺)出身の博徒・日比津善七が幕末から明治初期にかけて名古屋西部地方(現在の中村区、中川区、西区周辺)に大勢力を築く。この頃はまだ家名はなかった。
- 日比津善七は清水一家の山本政五郎の兄弟分であった。また、清水次郎長の舎弟であったという説があるが、確実ではない。
日比津善七には「日比津の七人衆」と呼ばれる以下の有力な配下がいた。
・舎弟:稲葉地甚之助
・子分:水車藤三郎
・子分:鬼頭由次郎
・子分:桜木藤吉
・子分:伊藤忠左衛門
・子分:小田井徳
・実子:富田鍋吉 - 1879年(明治12年)、日比津善七が死去し、舎弟(または筆頭子分)の稲葉地甚之助が跡目を継承。この頃に勢力は名古屋一帯にまで広まった。また、稲葉地甚之助が尾張国愛知郡中村大字稲葉地(現在の名古屋市中村区稲葉地町周辺)の出身であったことから、集団は「稲葉地一家」を名乗るようになった。
- 稲葉地甚之助には以下の有力な舎弟・子分がいた。
・舎弟:水野三之助
・子分:水野三之助
・子分:十二番孫三郎
・子分:新川常 - 1890年(明治23年)、稲葉地甚之助が死去し、水車藤三郎が三代目を継承。
- 1917年(大正6年)、水車藤三郎が引退し、漁場屋政五郎を跡目に指名したものの力不足であったため、富田鍋吉と共同で跡目を預かることとなった。漁場屋政五郎は旧郡部一帯、富田鍋吉は旧市部一帯を取り仕切り、鬼頭由次郎がこれを後見していた。後に鬼頭が死亡し、その後富田が旅に出た(刑の言い渡しを受けて逃亡)ため、ついに漁場屋が一家の実験を掌握した。
- 漁場屋の跡目を稲葉地一家浜長四代目・上條義夫が継承。この頃、系譜が整理され、稲葉地甚之助が一家の初代とされた。
系譜【稲葉地一家】
- 祖:岩塚忠七
- 祖:日比津善七
- 初代:稲葉地甚之助
- 二代目:水車藤三郎
- 三代目:漁場屋政五郎
- 四代目:上條義夫(浜長四代目)
- 五代目:中村真人(鍵次郎四代目)
- 六代目:伊藤信男(高村三代目)
- 七代目:鬼木賢緒(笹若三代目・鬼木会会長)
- 八代目:池田憲一(高村四代目・池田会会長)
- 九代目:中村英昭(高村五代目・二代目池田組組長)
- 十代目:松山猛(高村六代目・六代目高村会会長)

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